軍需物資としてのコンド-ム

慰安所を作った理由の一つである

性病予防はどうだったのか見てみます。

性病問題は軍の頭の痛いところでした。

中国でも多かったのですが、

南方では1942年に2774名、

1943年には5000名の患者と報告されています。

(医務局長会報より)

 

● 軍医部長会議 

   状況報告での北支那方面軍からの報告   

   1940年2月14日

 ・・・・特殊治療を要するものは

 努めて特殊治療衛生機関に集めて治療す・・・・

 性病は太原、済南、保定、大同の

 病院を指定し集結治療を行なう。

 内地における特殊治療を必要とするものは

 天津に集めて送還す。

 6ケ月に2600名の患者を収容す。

 

● 陸軍省医務局会報   1943年4月11日

 ・・・南方に5000名の性病患者ある

 実情に鑑み至急所要の指示をなす要あり

 

性病予防にはコンド-ムや

予防薬が大量に使われています。

そしてコンド-ム産業は

軍需産業になっています。

これらの支給は支那派遣軍、南支那方面軍、

南方軍からの請求にもとづいて

陸軍省や大本営の中枢が行なっていました。

 

● 医務局会報 安田軍医中佐の報告 

    金原節三「陸軍省業務日誌摘録」から  

    1942年12月22日

 南方軍には10月末までに性病患者が2224名いる。

 在郷軍人軍属2000名内外中枢1%と見込みあり。

 将来逐次増加する傾向にあり。

 この際根本政策をたてる必要があるため、

 着々とその準備を進めている。

 軍慰安所を拡張する機運にある。

 幹部の自粛自戒が行なわれず、

 予防具予防薬、共に少ない。

 各人携行に改め民需用も増加するように計画中。

 シンガポ-ルは1日5万

 ジャワは1日7万の予防具を使用す。

 錫鉛は現地で十分補給し得るも主薬が欠乏す。

  注:コンド-ムの使用数から

    慰安婦の数が分かります。

    1人の慰安婦が1日10人の客に

    使用したとして、 

    シンガポ-ルには5000人

    ジャワには7000人いた事になります。

 

● 医務課会報 内藤教官状況報告   

       1943年6月21日

   注:内藤教官とは内藤良一の事で、

     731部隊の関係者でミドリ十字の

     創始者の一人です。 

     エイズの問題でマスコミを騒がせた

     阿部英は内藤財団の理事でした。

 衛生サックの製造は1日5万個の能力あるも、

 目下1日1万を製造、半分は軍用・・・・

 これらはいずれも軍管理工場とす・・・・

 

● コンド-ム交付の地域別一覧(1942年分)

「陸支密大日記」から林博司氏が作成

受領部隊

交付回数

交付個数

備考

満州 関東軍

2

900万

 

中国 北支那方面軍

   支那派遣軍(中支那)

   波集団(第23軍/南支部)

1

2

2

210万

745万

262万5000

 

 

 

 中国 小計

 

1217万5000

 

南方 南方軍

   沖集団(第17軍)

   山川部隊(治集団・第16軍)

   渡集団(第14軍)

   司集団(第3航空隊)

   南海支隊

   剛部隊(第8方面軍)

   一木支隊

   田中部隊

3

5

1

2

1

1

 

2

1

645万

344万4000

20万

69万

4万

4万

6000

1万3500

200

サイゴン→シンガポ-ル

ソロモン

1ケ月分/ジャワ

フィリピン

シンガポ-ル

4ケ月分/ソロモン

ラバウル

グアム→ガダルカナル

南ボルネオ・バリクパパン

 南方 小計

 

1088万3700

 

北方・他 北海支隊

     鈴木部隊

2

1

1万5000

3万

アリュ-シャン

10ケ月分/場所不明

 北方・他 小計

 

4万5000

 

     総計

 

3210万3700

 

  注:1. 1942年当時の外地にいた

   兵力170万人で割ると

   1人の兵士で年で約19個となります。

    2. 総計を365日で割ると1日で約88,000個になります。

     慰安婦1人が1日10個使用したとすると、

     8,800人の慰安婦がいた事になります。

    3.しかし、この数字は軍中央から支給された分だけです。   

     これ以外に民間の物、

     現地軍が東南アジアで生産させた物、   

     何度も洗って使用した例、使わないで遊んだ例、 等が

     多くありますので、   

     実際にはこの何倍も慰安婦がいた事は事実でしょう。

 

強姦と性病の予防のため、

軍では次の策として軍人に

休暇を取らせることが計画されました。

 

● 局長会報 西浦進軍事課長の報告から   

        1942年7月30日

 召集回数が2~3回に及ぶ兵隊を、

 この際特別休暇を実施し、

 たとえわずかでもこれを緩和したい。

 結婚の斡旋についてもしたい、

 家族携帯も実施したい・・・・

 

軍人の休暇は性病や強姦の防止、

さらには将来の兵士を出産

(赤ちゃんを生ませる)させる

効果をねらったのですが、

ほとんど実施されず、

結局は慰安所が増えていくばかりでした。

 

慰安所やその他の対策をいくらしても、

占領地で強姦事件が多発した理由の

根底にはアジア人蔑視があると思われます。