慰安婦や強姦の南方への拡大

1941年12月8日、

アメリカやイギリスと開戦し、

南方に侵略を開始していくと共に、

慰安所や強姦も南方に拡大していきました。

 

そのあたりの事を、金原節三

「陸軍省業務日誌摘録」から見てみます。   

   (文章は意訳します)

 

● 陸軍省課長会報での法務局長報告 

      1942年2月12日

 富兵団(第25軍)において

 敵前逃亡112、強姦3、掠奪3の報告あり・・・・

 比島(フィリピン)方面でも相当強姦(14名)あり、

 下士官の婦人傷害事例もありたり。・・・・

 

● 局長会報 (大山文雄法務局長と

     田中隆吉兵務局長のやりとり) 

     1942年5月2日

(法務局長) 

 第25軍の独立速射砲第1大隊の

 現役大尉がクアラルンプ-ルにおいて

 マレ-人の妻女を強姦、    

 その時計5~6個を掠奪し、

 さらにジョホ-ルの第3王女を騙し、    

 真珠を詐欺し、強姦、掠奪、詐欺の

 犯罪を犯せる者あり。

(兵務局長) 

 第25軍はクアラルンプ-ルに来るまでは

 とかくの評判ありしも、

 この事件を契機として今後面目を一新せり。

(法務局長) 

 フィリピン方面においても強姦多かりしが    

 厳重なる取締まりをなしたる結果、

 犯罪激減せり。

(兵務局長) 

 フィリピンは他の地域に比し比較的多かった。    

 しかし、支那事変に比すれば少ないといえる。

  注:中国での強姦が相当ひどかった

 

● 局長会報 大山法務局長の報告 1942年5月9日

 南方軍の犯罪件数23件。

 大体において支那事変に比し少なし

 第14軍(司令官本間雅晴中将)には強姦が多し。

 女が日本人むきなるをもってなり。

  注:女が日本人向きだからとは変な理屈です。

 

● 局長会報 大山法務局長の報告 1942年5月27日

 南方犯罪の状況 

  掠奪強姦76件(開戦以来)

  強姦は14軍に多し、

  犯罪が多きは、14軍、15軍、16軍、

  南方総軍、直轄、の順で、

  軍律違反も14軍に多し。

   注:第14軍はフィリピン、

     第15軍はタイ・ビルマ、

     第16軍はインドネシアを担当

 

● 局長会報 田中兵務局長の報告 1942年6月3日

 ・・・・マレ-では支那婦人に対する

 暴行が5月の1ケ月だけで8件あった。

 

● 局長会報 大山法務局長の報告 1942年8月12日

 南方の犯罪610件、強姦罪多し、

 支那よりの転用部隊に多し

 慰安設備不十分、

 監視監督不十分に起因す。

 拘禁所にはどこも200名あて収容しあるが、

 いずれも3~4名の法務官が処理しあり

 

これらの局長会報を見ると、

いかに中国での強姦が凄まじかったかが分かります。

その結果中国から転進してきた部隊が

南方に来てさらに強姦事件を

起こしていることが分かります。