中国側資料に見る悲惨な状況

南京特別区の各県の被害様子を

公けの資料から見てみます。

日本側資料がある物はそれも書きました。

 

「凓水県」の資料

日本側資料 防衛庁・戦史叢書・

      中国方面海軍作戦から

 12月29日、海軍航空隊の戦闘機、

 爆撃機35機が市街地を爆撃、

 機銃掃射が行われた。

● 凓水県誌(凓水県地方誌辧公室) から

 ちょうど昼飯時だった市民は

 突然の空襲をうけ、

 県城は一瞬にして地獄絵と化した。

 爆弾によって家屋は破壊され、

 随所に火災が発生した。

 慌てて往来に逃げ出した

 群衆に向けて爆弾が投下され、

 さらに機関銃掃射がくわえられた。

 1時間ちかくにわたった空襲で、

 市民1200余人が死亡、

 家屋数千戸が破壊された。

● 凓水県誌(侵華日軍江蘇暴行録)から      

 12月、柘塘鎮に日本軍は

 拠点を設置して駐屯、

 以後付近の農民が殺害され、

 婦女が強姦される

 (被害は日中戦争期間で村民29人が殺害、

 婦女28人が強姦された)

 

「句容県」の資料

日本側資料

 12月4日午前8時40分京都第16師団

 (師団長中島今朝吾中将)句容東方に侵攻    

● 句容県誌から(句容県地方誌編纂委員会)    

 日本軍が倪塘村にきたとき、

 成年男子は付近に避難していたが、

 婦人や老人、子どもはまだ村に残っていた。

 侵入してきた日本軍の銃声が聞こえたために、

 婦人や子どもも夕闇にまぎれて逃亡、

 付近に身を隠した。

 日本軍は逃げ遅れた村民と

 他所から避難してきていた人など

 40余名を捕まえて、

 倪安仁という村民の家に押し込めて

 火をつけ、焼き殺してしまった。

 翌朝の8時か9時ごろ、日本軍の1部隊が、

 国民党軍の捕虜をふくめた他所の村民

 約80名を捕縛して句容公路沿いに連行し、

 機関銃で全員殺害した。

 このとき、溜め池の土手で

 1人の若い女性が8名の日本兵に輪姦され、

 その後精神異常をきたし、

 間もなく死亡した。

 日本軍は村を去る前に

 村落を放火していったため、

 村の公共の建物以外、

 全村80余戸は全部焼失した。

 倪塘村虐殺事件では、

 120余人が殺害されたが、

 多くが他所の農民で、

 倪塘村村民は7人が犠牲になり、

 そのうち2人は女性だった。

● 日軍侵占句容期間暴行録 から   

 12月5日朝、8時か9時頃、

 日本軍の一部隊が句容県城の北にある

 本湖村に食料徴発と部落掃蕩のためにやってきた。

 これを遠くから見た村民は、

 てっきり国民党の軍隊と思い込み、

 村の自警団やく30名に召集をかけ、

 槍や刀をもって集合し、

 整列して歓迎しようとしたところを

 全員捕縛されてしまった。

 付近で捕まえられた青壮年男子も加えて、

 40余名が村の醸造小屋に押し込められて、

 火をつけられた。

 小屋の外に逃げ出そうとした者は射殺され、

 全身火達磨になって小屋から飛び出し、

 近くの池に飛び込んだ者も射殺された。

 当時16歳だった万仁勝がただひとり、

 小屋から逃げ出して垣根のなかにかくれ、

 火傷をおいながらも生き延びたほかは、

 みな殺された。

 

「高淳県」の資料

日本側資料

   (防衛庁・戦史叢書・中国方面海軍作戦)

 南京東方約140キロの常州の海軍航空基地から

 12月4日航空隊は

 偵察機・戦闘機・爆撃機計19機が出動した

● 高淳県誌(高淳県地方誌編纂委員会)       

 ・・・・町の中心を通る大通りに

 集中的に爆弾が投下され、

 爆風で吹き飛ばされた死体が沿道に散乱した。

 中心街は火の海となり、やがて廃墟と化した。

 この日項だけで80発の爆弾が落とされ、

 住民100余人が死亡した。

 破壊され焼失した家は200余戸にのぼった。       

● 同上

 12月6日、日本軍(国崎支隊)が

 水陽鎮から県境の水碧橋付近に侵入し、

 村民36任を惨殺した。

 翌7日、高淳県城を占領した日本軍は、

 住民にたいして発砲し、

 30余人を死傷させた

● 同上      

 1月、襲来した日本軍によって

 高宣圩王家、南項挭の2村が放火される。

 掃蕩や女性狩りにきた日本軍が

 各県城や各村で強姦、多くは殺害した。

 (日中戦争期間中、数百人の女性が強姦された)

 

「江浦県」の資料    

● 江浦県誌(江浦県地方誌編纂委員会)      

 ・・・・江浦県城占領までに

 30余名の農民や難民が殺害された。

 さらに県城から浦口にいたる

 沿道の農民や漁民44人が死傷した。

 さらに大小の発動機によりなる

 水上部隊(約100名)が西江口を襲撃、

 農民・行商人・子供30余人を殺害、

 商船100余隻を砲撃・破壊・焼却した。

 民船を捜索中に発見された

 婦女10数名が船中で輪姦された。

● 同上      

 12月27日、日本軍40名が

 村々を捜索してまわり、

 農民や難民17人を殺害、婦女6人を強姦

 

「江寧県」の資料    

● 江寧県誌(江寧県地方誌編纂委員会)より      

 12月下旬、上坊で婦女10人が強姦され、

 陰部に鉄棒を刺して殺害される。

 1938年1月8日、

 陸郎村で県城から避難していた市民が

 「敗残兵狩り」で100余人殺害される。

 そのとき婦女8人が輪姦され、

 腹を割かれて殺害される。

 岔路郷は南京城から近く、

 交通の便も良いため、

 日本兵が「花姑娘探し」のために頻繁に襲来、

 婦女250余人が強姦され、多くは殺害された

 石馬村だけでも女性20余人が

 陵辱され、殺害された。

 曹村では3度にわたって

 日本軍部隊が襲来し、50人が殺戮された。