軍法務官の日記

上海で終わるはずの戦争が

「それ行けドンドン」と雪崩を打って

南京に拡大していきました。

予定外の急進撃だったため、

軍の法務官や憲兵が不足していました。

その状態でも軍としては

きちんと国際法を守ろうとして

最終攻略の前に「南京城の攻略及び

入場に関する注意事項」を出しました。

しかしそれが守られなかったことは前にも書きました。

当時第10軍(柳川軍団)の軍法務官だった

小川関次郎の日記を見てみます。

すべてカタカナで読みづらいので

ひらがなに直しました。

 

● 「ある軍法務官の日記」 小川関次郎 みすず書房                 

   明治8年12月26日愛知県で生まれる                 

   大正12年甘粕事件軍法会議裁判官                 

   昭和8年相沢事件軍法会議裁判官                 

   2・26事件軍法会議裁判官                 

   昭和12年第10軍法務官、12月南京入城                 

   昭和13年退官時中将相当官                 

   昭和41年92歳で逝去

昭和12年

 10月

  12日 

   第10軍法務部長を命ぜられる

  17日 

   当集団には国際法顧問を置いてないため

   法務官を置いてその事務を担当すべしと命を受ける

 11月

  2日 

   田島部員に投降者取り扱い規則の立案を命ず           

  4日 

   乾パンと防毒面を貸与せらる                  

注:毒ガス戦を準備していた証拠です           

  9日 

   午後憲兵隊長上砂中佐の

   金山衛視察の話によれば、

   同城付近で略奪はなはだしく、

   又無益な殺傷その惨状を極め

   到底そのままにては非常に問題を

   起こす恐れありと、

   よって自分は軍司令官に処置に対する

   方策につき意見上申す、

   すなわち国際問題を起こさないように

   あるいは後方整理隊ともいうべきものを

   設けてはいかがと上申す           

  10日 

   午後付近を視察す、火災の跡各所に散見す、

   便衣隊が放火して逃げたりと言い

   或いは日本軍の行為なりとも言い

    真偽のほどはわからないが相当惨状なり 

   又各宿営では鶏を処分するのをみる、

   おもうに2~3日過ぎれば付近一帯

   1羽もいなくなるだろう、 

   ほかに牛を処分し露営の兵等集まり

   料理しているのを見る、 

   適宜の処置としては少々程度を超えていると思う           

  14日 

   ・・・・同所の破壊は比較的少ないが

   商店の商品は殆ど公然と日本兵が持ち出し 

   一種の略奪と言うべし、何物も無断にて

   持ち出すことを悪いと思っていないようだ           

  18日 

   ・・・・憲兵の報告によれば

   相当軍紀が乱れているとのこと、 

   これに対する処置としては軍紀は

   あくまで保持するを要するが 

   戦場における軍紀はまたそれとして

   考慮せねばならぬと意見を述べ、 

   そのほかの悪質な軍紀違反行為には

   国際問題の種になることのないようにせねばならぬ、 

   それらの点につき実際上痕跡を残さぬよう

   処置整理をなさねばならぬ・・・・・           

  23日 

   ・・・・作戦上必要以上な民家の

   破壊、強姦、掠奪、放火等 

   相次いで頻発することを憂いこれを予防せんとす、 

   これは戦場における特別心理なるが、

   いたるところで強姦し、

   掠奪をし放火を悪事と認めず

   実に皇軍として恥ずべきこと言語に絶する、 

   日本人として特に日本の中枢たるべき

   青年男子がこのような心裡風習を帯びて

   何ら省みることなくそのまま

   凱旋帰国するとすれば

   今後日本全体の思想の及ぼす影響を考えると

   慄然として粟膚の感に堪えず、 

   日本の政府当局者はその研究に根本を極め

   思想問題に一大改革を加える必要がある、

   少々極端な言い方だがある者は

   「日本兵は支那兵以上に残虐を極め

   我々日本人としては慨嘆に耐えず」と、 

   支那人は我々日本人を猛獣呼ばわりし、

   日本兵を獣兵といい戦慄すると聞く、 

   支那側から見れば当然かもしれないが

   日本兵の実際を見聞する我々としても

   心外に堪えざる例数限りない、 

   日本として今後支那に対する政策如何? 

   とにかく今回の戦禍における支那人の敵讐心を

   いかに見るか相当根強いものと認められる           

  25日 

   ・・・・昨夜3時半 松岡憲兵大尉深夜にも

   かかわらず重大事件なりとて連絡に来る、 

   同事件は第6師団(熊本、師団長谷寿夫少将)の

   兵5名の内1名伍長が3里ほど田舎の農村に至り、 

   10歳位から26歳位の婦女を拉致し

   大きい空き家に連れ込み強姦をし、 

   かつ拉致するにあたり55歳位の女が

   逃げようとしたところを射殺し、 

   尚女1名に対し大腿部に銃創を負わせ、 

   その行為の不逞極まり

   不軍紀もここにいたりて言語に絶す  

   日本政府の声明は今の支那政府を敵とするも

   一般国民を敵とせず、しかるに日本兵が

   何ら罪なき良民に対し不逞極まる行為を

   あえてするにおいては一層支那一般国民より

   抗日思想をいかに観るや、           

   日本帝国の為に将来を思うとき

   慄然として寒心に堪えず、

   支那政府が一般教育として日本兵を

   猛獣と呼び日本兵を獣兵と言うが如し、 

   これまた如何に考うべきや・・・・    

   憲兵隊にて婦女子100名以上も

   保護収容したるを見る、 その中には

   小さき子供もおりまた

   赤子にミルクを飲ませるのを見る、

   食事も憲兵より支給するが実に憫然たるものあり、

   日本人にはかかる境遇の者一人もなきにのみならず、

   日本兵が支那人を使役するを見るに

   一々銃を向けてほとんど犬猫同様に扱い

   支那人は何ら抵抗せず、

   反対に日本人と地位を替えて考えれば如何              

   支那女6人が殺されず命が助かったとして

   憲兵隊に豚1頭鶏10羽を村の者がお礼に持参せり、

   当部にもその裾分けをうけたり、

   人情においては何処も変わる所なし

 12月

  14日 

   ・・・・市街各所に鉄条網を設け

   又諸所に深く塹壕を掘りその上に

   高く土盛りを為し空爆の避難所を設く、

   丁度銀座辺の地下鉄の入り口の如き恰好と見らる、 

   市民何100万人が如何に日本軍の攻撃を

   恐れたるかを知るに足る、

   しかるに今はその何100万人

   どこに避難したるか全くいずれも空家と化し 

   つまり大阪市のような都会の市民が一人残らず

   他に避難したると思えばその混雑如何、

   しかも貴重品は勿論、携帯し得る物は

   一つも残さざるまでに持ち逃げたるは、

   それを思うにてもその状況を想像し能わざるべし              

注:南京が人口100万人以上の

  都市だったということです

  15日

   ・・・・司令官の談に揚子江にて

   12~3艘の船に避難民なるか逃走兵なるか

   先頭に英国の旗を立てていたるが、

   例の橋本欽五郎は構わず砲撃す・・・・

  17日

   ・・・・午後1時30分入場式を挙行に付き

   人口百万位なりと言う殷盛なる首都を攻略す、

   日本軍の強気こと・・・・

  23日

   ・・・・〇小××××強姦事件、

   石×××外1名強姦事件を受理す、

   強姦事件については是まで

   最も悪性のものに限り公訴提起の

   方針を採りなるべく処分は消極的なりしも

   かくの如く続々同事件頻発するに於いては

   多少再考せざるべからずかと思う

   〇司令官に松×××上官用兵器脅迫事件、

   杉×××上官用兵器脅迫事件の公訴提起命令上申す、

   外に竹×××外1名放火事件、

   福×××略奪事件不起訴意見上申す、・・・・