地域別・グアム島、米海軍によるBC級裁判

グァム島では戦争終了前から

米海軍による裁判が始まっています。

日本側の資料と米海軍の資料(1997年公開)があり、

若干異なるので米軍資料をもとにします。

季刊戦争責任研究・第40号・41号の

林博史氏の論文を参考にします。

 

米太平洋艦隊の資料1949年7月時点での数字です。

● 起訴された犯罪種別と被告人数

犯罪種別

人数

殺人

104

虐待行為及び拷問

4

飢餓及び怠慢

1

他の暴行及び虐待

3

休戦の白旗、軍服、紋章の誤用

0

指揮下隊員の監督不行届き

18

捕虜の保護失敗

19

殺人共同謀議

10

捕虜の名誉ある埋葬妨害

11

捕虜を危険な仕事に使用

1

軍事作戦に直接関係する仕事に捕虜を使用

1

裁判なし処刑によるスパイの不法な処罰

3

捕虜の墓の侮辱

1

 注:慰安婦に関することは

   「虐待行為及び拷問」「他の暴行及び虐待」に含まれています。

   裁判は日本人だけではなく日本に協力した現地人も含まれます。

 

● 判決ならびに最終的に確認された人数

 

死刑

終身刑

禁固11~25年

禁固6~11年

禁固5年以下

有罪合計

判決

28

12

35

24

9

108

最終確認

11

28

32

21

4

96

 

● 篠原のケース

 1887年生まれの篠原武熊は

 1905年にグァム島に渡り色々なビジネスを手がけ

 現地では有力な商人でした。

 終戦直前に米軍の軍事委員会から

 多くの罪で告訴されました。

 罪状は反逆罪、窃盗、暴行殴打、

 売春目的での女性の連行、

 国旗侮辱などでした。

 その中で慰安婦に関することを記述します。

  起訴状番号 4-1

   容疑 

    売春目的での女性の連行

   内容 

    1942年2月、不正確な説明で同意を得て、

    売春目的で女性Aさんを不法に連行

  起訴状番号 4-2

   容疑 

    売春目的での女性の連行

   内容 

    1942年2月、彼女の意思に反して、

    かつ同意なしに、

    売春目的で女性NMさんを不法に連行

 裁判は1945年7月28日(敗戦前)に開始し、

 8月27日に死刑判決が出されました。

 篠原はその後、

 1948年9月24日に東京スガモプリズンに移され、

 1952年1月10日仮出所しました。

 その後の動向は不明です。